上高地には今までに3度行ったことがある。1度目は4歳頃だった。景色などは全く覚えがないが、家族でキャンプをした。このとき見た夜空はまさに「降るような星空」だった。
そして残る2回はいずれも社会人になってからで、夏と秋。いずれも晴天に恵まれ、上高地から眺める穂高の美しさがこのとき脳裏に焼き付いた。
「ここから山に登ってみたい。」
いままで私の心の奥底に沈んでいた想いが、昨年夏、富士山に登頂してから、まるで封印が解けたかのように湧き上がってきたのだ。 この夏、その思いを果たすべく、子供2人を連れて上高地から涸沢まで、標高差800m、16kmを2泊3日で往復する計画を立てた。
心洗われる美しい山の容姿と梓川の清流を子供に見せてやりたい。1泊目は徳沢の宿、2泊目は標高2200m涸沢でのテント泊。そして、 今回はちょうどペルセウス座流星群が見られる日とぶつかり、山中の降るような星空の下での流星観察もおまけにつけた。
猛暑で晴れ続きであったはずが、出発日になんと台風が接近。日程2日目、まさに山登りする日に台風は日本海を通過して我々のコースに最接近する。 天気予報によれば、松本地方は12日の午後だけが雨で風はない。移動は午前中に済ませる計画だ。さらに13日の朝は晴れの予想だったので、
流星観察もできそうだ。よーし、決行だ。
8月11日(第1日目)6:45 起床
起きてみると既に雨。足止めをくらう可能性を考え、持っていく本を1冊増やした。最寄りの美薗中央公園駅から遠州鉄道を使って浜松駅に出る計画だったが、雨ということもあり、
浜松駅まで妻が車で送ってくれることになった。浜松駅に到着し、売店でサンドイッチとコーヒー、おにぎりとお茶、3人がそれぞれの好みで朝食を買って新幹線に持ち込んだ。7:49 浜松駅発(こだま697号)
外の天気が気になる。時折、強く打ちつける窓ガラスの雨音と、低く垂れこんだ雲は気持ちを暗くした。
名古屋駅発(しなの号)
ここから雨はあがった。このまま予報通り、曇りで行ってくれるといいのだが・・、と祈るような思いである。
この中央西線の長野方面行には、夏休みには登山客が数多くいるのが通常だが、今日はあまり見当たらない。やはり台風の影響だろう。
11:04 松本着。
曇り、風なし。雨はあがっているが結構蒸し暑い。陸橋を渡って松本電鉄のホームへ。ここでようやく数人の登山客に会う。
11:23 松本電鉄乗車。
2両編成のワンマン列車だ。切符の発行もなく、バスのように車内で乗車整理券を取るシステムだ。空を見上げると1/4程度の晴れ間が開けて日が差し込んできた。
田園風景の中を30分ほど走って終点の新島々(しんしましま)に到着した。
12:05 上高地行バス乗車
ここから先は上高地までバスで1時間余りだ。バスは速度が遅く、途中、ときどき停車して後続車を先に行かせた。
国道158号線沿いを進む。長短のトンネルを数々通過し、3つのダムを超えて登っていく。
沢渡の駐車場を過ぎてバスが上高地内に入る。以前上高地に来た時は、この道の途中に15分ほど待つ信号があった。長い一車線通行部分があって、
登り下りを交互に通過させるための信号だった。今、ここには"釜トンネル"という長い新しいトンネルが開通して、全線が2車線通行できるようになっていた。
13:20 上高地バスターミナル(標高1450m)到着。
帰りのバスは混雑すると聞いている。ここで帰りの整理券をもらっておくことにした。このターミナルで昼飯(ラーメンとソフトクリーム)を食べる。
14:30上高地発、登山開始。
河童橋周辺は観光客が多いが、やはり天気のためか、夏休みの割に人数は少なめ。ここからの北アルプスの容姿は素晴らしいのだが、 美しい山肌を見せる中腹から上が、雲ですっぽり覆われている。ん〜、残念。
子供たちには、「明後日(帰り)を楽しみにしよう。」と言ってここを後にした。歩き出しは晴れたり曇ったりの空模様。途中で雨が降り始める。
最初は傘をさして歩いたが、明神到着直前で本降りになるため雨具を出して着用、ザックにもカバーをかけて、完全雨防備になった。
15:50 明神着(標高1505m)
今夜の宿の徳沢園まで、ここから1時間ほどかかる。16:00以降の到着の場合は連絡を入れることになっていたので、公衆電話で徳沢園に一報した。
17:00 徳沢園着(標高154m)
ここまでの道は、登り下りはあるが比較的平坦な道で、登山というよりハイキングだ。それでも雨の中2時間以上の行程で、子供たちは少し疲れた様子だった。
道すがら、野生の猿に何回か遭遇した。跳んだり跳ねたり、木の実を食べたりしていた。梓川のせせらぎを横に聞きながら、森の中からはウグイスの鳴き声が頻繁に聞こえた。
ここ徳沢園は、井上靖の小説「氷壁」の舞台になった宿だ。看板にも、氷壁の宿「徳沢園」と書いてある。部屋は6畳、ベランダ付き。浴衣や歯磨きタオルも付いていて、風呂にも入れる。
昨年、富士登山のときに経験した7合目の山小屋とは比べ物にならない快適さだ。庭の前にはキャンプ場があった。雨ではあったが、カラフルなテントがたくさん張ってあり、
多くの家族や団体、個人が山のテント泊を楽しんでいた。観光バスからたくさんの客がひっきりなしに流れてくる上高地と違い、ここ徳沢はひっそりと静まった山中にあり、
牧歌的な雰囲気だ。到着後お茶を飲んで風呂に入り、1時間ほどトランプをして遊んだ。乾燥室も比較的広く完備され、傘や雨具やタオルは2時間ほどでしっかり乾いた。
19:00から食事。ご飯とお汁以外におかずは5点ほどありメインディッシュはステーキ、食後にデザートまでついて、まさに和食のコース料理だった。
明日の朝は早いので、朝食にするお弁当(おにぎり)をもらう。明日の天気予報を確認。午前中は曇りで午後が雨。風は2m。宿の主人にも相談してみたが、
午前中は降っても軽そうだし、涸沢までならば雨でそれほど危険な個所はないとのことで一安心。
談話室にいると、テレビから台風の報道が流れてきた。『台風の風で被害も出ています』というアナウンスに耳が引き寄せられた。
1つの被害は玄関前で滑って擦り傷を負ったという老人の話。もう1つは信号機が倒れたという話。その信号は柱が錆びて朽ちていて、倒れた原因は老朽化らしい。
被害というのはこの2つだけ。聞いているのがばからしくなり、部屋に戻って明日の荷物をまとめてから再びトランプ。
30分したところで9時に突然照明が落ちて宿全体が真っ暗になる。夜は自家発電を止めるため、常夜灯以外はすべて21:00で切れてしまうのだ。
仕方なく布団の中へ。特に狭くもなく、遅くまで騒ぐ輩もいなくて静かで快適だった。
2日目
6:00 起床
小ぶりだがしっかりした雨だった。風はなし。玄関に出ると、もうかなりの人たちが山支度をして外に出ている。
壁に張り出してある最新の天気予報にも大きな変化なし。朝食の弁当は、雨が降っていると外で食べにくいので、少し早いが宿で食べる。
携帯電話の電波は届かないが、ここにも公衆電話があり、出発前に自宅に「これから北アルプスに入ります」と電話する。
妻は「本当に大丈夫なの?」とたいそう心配そうな声だった。
7:20 徳沢園出発
ガスが山肌から山頂に向かって流れ登っていく。地上で風は感じないが上はどうなっているだろうか。
徳沢からしばらくは林間コースだ。降り注ぐ雨音と梓川のせせらぎの音が混ざり合い、ザーッという水音が森の中に浸みわたるように鳴っている。
その中を3人でしりとりをしながら歩く。すれ違う人は、「こんにちは」「おはようございます」と挨拶を欠かさない。
7:50 新村橋
この橋は、細いつり橋で載ってみると良く揺れる。これを渡るとパノラマコースと言って、涸沢への山越えの短絡路になる。 今回は比較的安全な沢沿いのルートを行くので、この橋は渡らずに直進した。
さらに行くと、山を下りてきた気のよさそうなオッサンとすれ違った。
自分:「上はどうですか」
オッサン:「そりゃここよりゃ降っているよ。どこまで行くんだい?」
自分:「涸沢まで。」
オッサン:「そこから先は?」
自分:「そこで泊まって、明日は帰る予定です」
オッサン:「そりゃ正解だよ。きょうはそこから先は登っちゃだめだよ。台風だからね。死にに行くようなもんだ。
まだ若いんだから、早まっちゃだめだよ。アハハハハ・・・。じゃ気をつけてね。」
ここから先へ行っていいものか悪いものか。分かりにくい言葉を残して、オッサンは去って行った。
8:20 横尾到着
この横尾は、北側にまっすぐ進むと槍ヶ岳へのルートと、横尾大橋(写真)を渡って今回の目的地、涸沢へ向かう2つのルートの分岐点だ。 ここまでの道は比較的平坦でハイキング感覚だが、ここから先は山道になる。橋から川の流れを見てみた。川の水量は増えていない。
天気は良くないので往来の登山者はまばらだ。我々は、歩き出して1時間しか経っておらず、子供たちはまだまだ元気そうだ。 15分の休憩を取って、ペットボトルに水を補給して、「ようし、じゃ行くぞ」。
8:20 横尾出発
しばらくは横尾までと変わらない軽い山道だった。 しかし、1-2kmほど行くと様相が変わった。岩場が多くなり、その岩の大きさも着実に大きくなる。
いわゆるガレ場も出てきた。それだけではない。ガレ場の中、幅1m程の沢を飛び越えなければならないところが2か所ほどあった。
子供が足を滑らしたら・・・、と思うとちょっと蒼くなったが無事通過。
9:25本谷橋到着
このまま行くべきか、少し不安が出てきたところで本谷橋に着いた。ここの川辺で休憩を取っている登山者が何組かいた。我らもここで小休止だ。
橋の脇に立つ道しるべに「涸沢2.4km」「横尾2.4km」とある。横尾からここまでと、ここから涸沢までが同距離。もう半分も来たのか?と気を良くした。
しかし、後でわかったのだが、実はこの「涸沢」は目的地涸沢ヒュッテから2kmほど手前の場所を指していて、実は最後の2kmが最もきつかったのだ。
小休止を終えて本谷橋を越えるといよいよ登り坂になってきた。しばらく登ると、登山道に雨水が流れ込み沢のようになってきた。
ちょっとした沢登りの感覚だ。私の登山靴は、靴底がやや厚いがそれでも靴の中まで水が入ってきた。もちろん、子供の靴はずぶぬれになっていた。
下の子は小学校の林間学校で沢登りを経験したらしく、「本当の沢登りはこんなもんじゃないからね。」と得意げに登っていたのでちょっと安心した。
涸沢の谷に入ると雪渓に出会った。雪渓といってもほとんど氷塊だ。子供を先に行かせたら、ものの2-3歩行ったところで滑って歩けなくなってしまった。
軽アイゼン(靴につける滑り止め金具)を用意するべきだったか?私が下調べでは、雪渓が残っている所はあっても、8月ならばわずかな距離なので、 軽アイゼンは必要ないはずだった。実際、他の登山者を見ても登山靴だけで往来している。子供は雪面が水平でないところに足を置いてしまうために滑っているようだ。
「お父さんが先に行く。お父さんが踏んだ場所とまったく同じところに足を載せていけば歩けるからね。ちがうところを踏んじゃだめだよ。」と念を押した。
2か所の雪渓にそれぞれ約10分程度ずつかかったがこれも無事通過。
本来ならこの辺で穂高の雄姿が眼前に広がるはずだが、雲とガスで上方は全く見えない。
最後の登坂は、勾配もどんどんに急になっていき、息も切れて足も動きにくくなる。みな無口になった。小休止をこまめに置きながら進んだ。
涸沢ヒュッテと涸沢小屋の分岐点に到着。もう一息だ。ここで最後の小休止。手持ちの飲料水を飲み尽くして、「あとは一気に行くぞ」と号令をかけて歩き出す。
少し視界が開けたところで見上げると、まだまだ急登坂が続いて、その先の登山道は岩場を回り込んで見えなくなっていた。小屋の姿は全く見えない。
「もうすぐだぞ」と言っても、もう子供たちは私の言葉を信じていないのか、まったく返事なし。
雨具を着ていたこともあって、かいている汗の量が多い。口の中に流れてきた汗をなめると異常にしょっぱい。少し脱水気味になってきたのだろう。
あとは上を見ずに、一歩一歩近づいているのだとただただ歩数を数えながら、岩の階段を上って行く。登山道が大きな岩を回り込み、
急な階段をのぼるとそこに涸沢ヒュッテが現れた。3人とも疲労困憊していた。
11:50 涸沢ヒュッテ着。
小屋の屋根を叩くしっかりした雨。ここにも公衆電話があり、とりあえず目的地到着を家に知らせた。
「テント泊を決行するか、小屋泊に変更するか。」子供達に聞くと、こんな雨の中でもテント泊を期待しているようだ。
雨の具合を午後まで見てから決めることにした。まずは、のどが渇いて腹が減った。ヒュッテの2階部分に売店があり、
そこで昼食が食べられるとのこと。行ってみると屋根だけある吹きさらしの休憩所だった。びっしょり濡れた身体が冷える。
しかし昼食は、ここでしか食べられない。私はカレーライス、子供はラーメン。腹が減っていて、ことのほかうまかった。身体も少し温まった。
食事を終えて、雨はさらに強くなる。下の子はまだテント泊をしたいようだったが、全身ずぶぬれで、これから夜にかけての冷え込みを考えると、
乾燥室を利用できる小屋泊に変更すべきと説き伏せた。
13:10 部屋に入る。部屋といっても山小屋だ。廊下の左右に2段の押し入れが続いているようなものだ。
1階を2段に分けてあるので立ち上がれば頭をぶつける。必然、四つん這いで移動する。私たちは上段の場所をあてがわれ、
一人に布団1つが与えられた。当たり前だが、お盆休みの北アルプスにしては、ありがたい広さだ。夕食までまたまたトランプ三昧。
17:00夕食。ごはんみそ汁におかずは4品ほどあり山小屋の定食としては十分だった。夜になっても雨は続いていた。予報では深夜から晴れるとのこと。
子供たちは流星群を何とか見たいとせがむが、明日の朝は早いので、何とか寝かせたい。
「夜にお父さんが空模様を見て、流星が見えそうだったら必ず起こす。とにかく8時に寝よう。」
そしてやはり山小屋だ。隣の人のいびきがひどくて寝付きにくい。今回は持参していた睡眠薬で、4時間ほどはグッスリ眠れた。
夜2時と3時に起きてみた。2時。雨は止んでいたが星は雲で全く見えない。3時の空は天空の1/5くらいが晴れていた。
星は見えるが部分的なので、とても降るような星空ではない。10分ほど見上げていたが、流星も全く見えなかった。
帰宅してから新聞をあさってみたが、結局ペルテウス座流星群そのものが日本ではほとんど観察されなかったようだ。
3日目
4:15 起床
まだあたりは暗い。朝食は自前、レトルトの梅干しがゆとみそ汁だ。テント泊に備えて3人分の食事を私が担いできたものだ。 飲料水は徳沢、横尾、そしてこの涸沢でも、すべて無料で入手できる。 バーナーでお湯を沸かし、梅干しがゆを温め、そのお湯でみそ汁を作った。ちょうど食事を食べ終わった頃、日が昇り始めた。
東の空が赤々と焼け、その反対側に座する雪を抱く穂高の斜面は、その朝焼けに照らされてほんのりと赤く染まった。 モルゲンロートだ。穂高の頂上にガスがかかり、稜線までがくっきりと現れていないのが残念だが、美しいものを見た。 涸沢カールが日の出の時間にだけ見せる一瞬の美に、携帯やデジカメをかざす者、そして茫然として立ちすくむ者もいた。
5:00だった。日が高くなるにつれて雲が晴れてきて、穂高の稜線が姿を現した。
5:50 下山開始。 穂高連峰に名残を惜しんで、涸沢ヒュッテを後にする。
7:35 本谷橋到着。 さすがは下りだ。登りは2時間25分かかったところ1時間40分でさほど苦もなく降りてきた。
朝ごはんが早かったこともあり少し腹も減る。河原で休止して、カロリーメイトとウィダーインゼリーを食す。
8:50 横尾到着 天候が好転したこともあって、昨日とほぼ同じ時刻ながら、人通りは多かった。横尾から徳沢まで梓川対岸から見る穂高も美しかった。
ちょうど私たちと同じ程度のペースで下っていた老夫婦のおじいさんが話しかけてきた。
「2人姉妹かい?いいね。うちも2人姉妹なんだ。でも良く一緒に来たね。」
「そうなんですよ。羨ましがられますよ。自慢の娘たちなんです。」
「良いね。うちなんか、『明日は上高地?アッソ、いってらっしゃい』てなもんだよ」と淋しそうだった。
「でも良いじゃないですか。奥さんが来てくれるから」と言うと、「ああ、あれは妹なんだ」と言われて返す言葉を失ってしまった。
まあ、僕は幸せ者だ。
10:50 徳沢到着
歩き始めてから5時間。道は平坦だが、この辺で疲れが出てきた。ここで休憩とする。
ソフトクリームを買って、お湯を沸かしてコーヒーを作る。徳沢園に預けてあった荷物を回収。
あとおよそ2時間。整理券をもらってある2時のバスには十分間に合いそうだ。
12:00 明神到着
ここで昼食、カレーライスにする。 ここまでは大きなリュックを背負った山装備の人ばかりであったが、
明神に到着すると突然、普通の観光客が数多く現れた。その数は10倍程度。明神は上高地から片道1時間のハイキングコースなのだ。
昨日通った道ではない道を歩きたいという上の娘のリクエストに応えて、ここから明神橋を渡って、川の反対側の道を下って河童橋に向かうことにした。
そちらの道は遊歩道として整備されていて、林や湿地帯の中を進み、ゆるやかで美しい川の流れを見ながら進むなかなか風情のある散歩道である。
失敗だったのは、こちらの道はいわゆる観光客用の遊歩道で、人の流れが遅かった。
道幅が狭く前の人を追い越すことができない。皆、散歩気分の軽装の人ばかりで、山装束の我々は場違いでじろじろ見られる始末だ。
道はジグザクしていて距離も長い。何より自分たちのペースで歩けないということが疲れを一気に倍増させた。
13:15河童橋到着 河童橋直前、穂高連峰を正面に臨む写真撮影ポイントで1枚パチリ。 河童橋に到着してリュックを下し、「よく歩いたな。二人とも良く頑張ったな。」とねぎらうと、
上の子は「あーホント疲 れた。もう絶対いかねー。」との発言。
しまった。ちょっとハード過ぎた。 行きは雨の中、びしょぬれ、汗だく山登りだった。万年雪を抱く北アルプスの雄々しき山肌を見れたとはいうものの、
富士山と違って頂上に登ったというわけでもなく、高い山を間近に見たというだけだ。星空も見れず、テント泊もできなかった。帰りはずっと曇りで山肌や稜線は見えたが、青空の下ではなかったので、山の雄姿は今一つだった。
苦労したわりにご褒美が少なすぎるのだ。
おみやげを買って、バスに乗る前「どうだった」と聞くと、二人とも答えは一緒だった。「徳沢までなら行くけどそこから先はもう行かないね!」
これには参った。苦労して連れて行って、山が嫌いになってしまったら元も子もない。
「おいしいレストランやディズニーランドと違って、自然は僕らに媚びないからなあ。だけど気まぐれに、とんでもない美しさを見せる。だからすげーンだ。」
なんて哲学めいた話をしてもまったく聞き耳持たない。
自宅に無事帰還の連絡をしてさらに落ち込んだ。「いったいどうしてるか心配したわよ。台風来てるし、おじいちゃんからも何度も心配して電話かかってきたのよ」
良く考えてみれば当たり前のことだ、普通の雨でも山登りはやめるよな。自分だって山の経験があるわけでもないのに、
行ったこともない山に2人も子供連れて、こともあろうに台風を押して行くなんて、常識を逸していると言われても仕方ない。
帰りの電車の中で今回の行程を繰り返し頭に浮かべて反省した。山は慎重にも慎重を重ねるべきなのだ。 行けるかどうかだけでなく、周りに心配かけないというのも、中高年の登山では大切なことかもしれない。
徳沢から上高地に引き返すか、横尾で断念するのが正しい判断だったかなあ。それが考えた末に出た結論だった。
家に帰ってからも子供たちは母親にいろいろと危険を乗り越えた報告をしていた。
「3回死にそうになったよ」 などという報告を聞いているうちにますます自分に引率する資格がないと思うようになった。 うつむいて無口になっている私に下の子が言った。
「もし、晴れるとわかっていたら、もう一度登ってもいいよ。」
彼女が天使かマリア様のように見えた。
今回の登山は天候に恵まれず、それゆえいろいろ経験した。特に雨には学ぶことが多かった。 雨音がうるさく、視野が狭くなるために、子供が転倒したことに気づかないという場面もあった。 「己が未熟を知るべし」という人生訓を得た。一方で、自分の足には少し自信がついた。 結構重い荷物を担いで、往復32kmの山道を上り下りしたが、帰ってきてからの筋肉痛はなかった。膝痛も出なかった。 「涸沢の紅葉を見る」という夢は、グッと現実に近づいたような気がしている。
とにかく、無事に帰ってきました。まずは、一緒に登ってくれた娘2人に、「ありがとう」。
そして、大変心配をかけた、妻とおじいちゃんおばあちゃんに、「ごめんなさい」。
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