富士山登頂記
2009年8月13日〜14日。14歳の次女と2人で富士登頂した記録。

8月11日(出発前々日)
早朝静岡で震度6弱の地震発生。我が家も富士山も問題はなかったが、これをつなぐ東名高速道路が不通となる事態発生。急遽、旅行計画を自家用車から電車に変更。地震があったからと言って、まさか富士山が噴火はしないだろうが早々から不吉な話だ。

8月13日(水)1日目
早朝4:30から目が冴えて眠れず。やむなく5:00にベッドから起き上がり、読み残しの1Q84を読み切った。
8:30 朝食。
9:40 自宅出発。遠州鉄道、新幹線、東海道線、御殿場線と乗り継いで御殿場へ。
12:15 御殿場駅到着。駅前のMacで昼食。

12:50 駅前でタクシーに乗車。夏の御殿場の観光地に向かう道路は慢性渋滞だが、さすがはタクシー。裏道を通ってスイスイ進み、30分程で須走口五合目(標高2000m)登山口に到着。

13:40 登山開始。すれ違う下山者には、疲れ切った印象の人が多いが、これから登るのかと思うほど元気な人もいれば、抱き合ってキスしているカップルもいて、その表情はさまざまだ。
13:50 登山口近くの小御岳神社で登山の安全を祈願。
15:15 六合目(標高2420m)長田山荘到着。曇ってはいるが、眼下右方には雲海がひろがり、左方には山中湖が見下ろせた。

六合目直前。眼下に山中湖を望む。

16:10 本六合目((標高2620m)瀬戸館到着。富士山の登山道は、植物のほとんどない露出した砂礫を進むところがほとんどだが、須走登山道はこの六合目付近までは、涼しげな林間の登山道が続く。木や草花を見ながらの登山は疲れの中にも安らぎがある。娘は「トトロの森のようだ」と喜んでいた。

本六合目までの草原。山頂は雲の中で拝めない。

本六合目小屋にて、初めて青空に山頂を臨む。

18:00 七合目(標高3000m)大陽館到着。 ここで上空は晴れ上がり、眼下の雲海に影富士が映った。これをバックに写真を撮って本日の登山は終了。この山小屋で一泊だ。

 
七合目から眼下に広がる雲海とそれに映し出された影富士。


大陽館の中は、ところどころに小さい電球があるが、消灯したときに燈る豆電球程度。人の顔を判別するのが難しいくらいの暗さだ。予想はしていたものの、狭さもすさまじい。居室は廊下の両側が上下2段になっていて、いずれも立膝で頭がつく程の高さだ。奥行きが2m程で、この一番奥に荷物を置き、ここに頭にして手前を足にして寝るのだ。横幅4m程度に10人分の寝袋が敷き詰められている。必然的に、寝袋は隣と重なり合っている。1畳に2人ずつ寝かせる勘定だ。ここに年齢男女の区別なく並べて入れられる。寝返りはもちろんのこと、真上を向いて寝るだけで隣人と肩が押し合ってしまう。本当に、これで眠れるのだろうか。

19:00 夕食はハンバーグ定食だ。山小屋の食事はカレーが定番で、この大陽館は食事が美味いと聞いて宿泊小屋に決めて予約した。ごはんとトン汁はおかわり自由だったが、夕食の順番が最後の方だったため、トン汁はほとんど具のないつゆだけの状態であったのが残念。隣で食事をしていたのが小学3年生。この子も明日頂上を目指すらしい。「がんばれよ」と一声かけた。  
七合目からの夜景。

居室は暑苦しいため、食後しばらく外に出ていたが、寒くなったため、20:00に居室に戻り寝袋に入る。すでに就寝している人のいびきが聞こえる。よく眠れるものだと感心すると共に不安も募る。  22時を過ぎても宿泊者は増え続け、ついに居室は完全に埋まり、ここからは廊下にどんどん寝袋が並んでいく。いつの間にか大いびきは三重唱になっていた。子供の「暑いよー」という半泣きの声も加わる。窓の外から夜中に通る登山者たちの盛り上がった会話が聞こえ、ようやくいびきに慣れた脳みそを叩き起こす。とどめは、隣に眠る女性の歯ぎしりだった。  結局、2-3回ウトウトした程度で朝4時の起床時間を迎えた。研修医時代から睡眠不足には比較的強い体質に鍛えられてきたが、こんな徹夜状態で登山ができるだろうか。

8月14日(金)2日目
4:30 荷物をまとめて、前日のTシャツから長そでにヤッケの服装に替える。朝食の弁当をもらって山小屋を出る。皆ここでご来光を拝もうと、小屋の前で東の空を拝んでいる。混雑していたため、私たちは20-30m上ったところで日の出を待った。  東の空には、下に雲海その上には薄雲が張り、その上下の雲の間に1本の細いテープのようなわずかな隙間がある。そこに太陽が昇ってきた。上下両側の雲に朝焼けが反射し、筆舌に尽くしがたい美しさとは、まさにこのことだと思った。
七合目からのご来光。

5:10 登山開始。登りながら少し気分が悪くなり、「高山病か?」と不安がよぎる。この吐き気は、休憩中などに断続的に繰り返して現れたが、登山中には軽くなり、登り続ける妨げにはならなかった。  途中、娘が鼻血を出して何度か休憩を余儀なくされた。そう言えば、子供のころからここぞという時によく鼻血を出す娘だった。ティッシュを握りしめ、うずくまっている女の子とこれを見る父親。他の登山者たちは、心配そうに横目で見ながら通り過ぎて行った。 まあ、気圧が低くて血が止まりにくくなることもなかろう。ある程度止まったところで、登山を断行した。

5:50 本七合目(標高3140m)見晴館到着。朝食の弁当を食す。高地のためか御飯がいくぶん固い。それでも、食事を食べると元気が出るものだ。食後は体力が回復するとともに、気力も出てきた。しかし、登り始めると途端に呼吸が苦しくなり、動悸もはげしくなる。やはり空気が薄くなったのだと実感する。

6:55 八合目(標高3270m)江戸屋到着。

八合目、吉田口と合流して急に賑やかになる。

7:35 本八合目(標高3350m)富士山ホテル、胸突江戸屋到着。本八合目からは、吉田口登山道と合流する。東京勢が加わって登山者の数は10倍くらいになった印象だ。  標高が上がると、物の値段が上がるのが山の通常則だ。ところが、今まで200円だったトイレ利用料金は、ここでは100円に値下がりし、中もきれいになった。飲み物も七合目よりわずかだが安くなり、物も豊富だ。多くの人が利用し、競争があるという環境は、サービスを向上させるものだと感心する。

九合目近くなって、晴れ間が見え始める。

8:35 九合目(標高3570m)鳥居到着。ここには山小屋はない。このときまでずっと空を覆っていた雲が晴れ渡り、頂上が眼前に現れた。ここまで来ればあとは惰性でいける。「あと150m、もうそこまで来たぞ。」娘を励ます声は、自分の心への激だった。

 
山頂に着いた時は青空、この15分後はもう雨だった。山の天気は本当に変わりやすい。

9:45 頂上(標高3720m)到着。 山小屋が4件ほど並んでいる。お土産物を売り、食事・飲み物を出し、休憩所を提供して人が賑わっている。観光地の売店街にいる気分になった。  富士山頂浅間神社でお守りを買い、売店でおしるこを注文した。10分程して店員がやって来て、お盆に載せたお椀を差し出しながら、「当店のおしるこには餅が入っておりません。汁をすすって飲んでください」と。うーん、してやられたり。 餅のないしるこという常識外のものを買わされてしまったが、それなりに小豆は入っていた。とにかく、暖かくて甘いものはうまい。
 噴火口を取り巻く山頂のぐるりは約4kmあって、ここを歩いて回ることをお鉢回りという。富士山の本当の山頂(3776mの碑が立っているところ)は剣が峰と言って、私たちが登った須走・吉田口山頂のちょうど反対側にあるのだ。もう登りたくない気分だったが、娘と相談した結果、ここまで来たら本当の山頂を拝まずに帰るわけにもいくまいという結論に至る。

10:30 お鉢回りに出発。道すがら、ときどきムッとするような暖かい風が吹く。なぜだろうと考えているうちに、周辺の岩石が熱を持っていることに気づく。手袋を取って崖や地面に触れてみるとほんのりと暖かいのだ。煙こそ上がっていないが、やはり富士山は活火山だ。しかし、噴火口の広いお鉢の中には、今だ残雪がところどころに残っており、地熱が高い場所は限られているようだ。

 
測候所と剣が峰。剣が峰到着時5分間だけ晴天に恵まれる。

11:10 剣が峰(標高3776m)到着。ここに至る直前の登り坂が、すべての登山道の中で最も急斜面だった。山頂に着いてからずっと曇って、雨さえ降っていた空だが、その数分だけ青空となった。この機を逃さずに3775.63mの碑で記念写真。何という強運。  この碑の隣には、富士山頂測候所があった。富士山頂レーダーからの雲の画像は、私が子供のころの天気予報の定番であったが、いつの時からか人工衛星ひまわりの画像にとって代わられた。今はその役目を終え、レーダードームが撤去されて無人測候所になっている。測候所の建物を感慨深く眺めているとき、娘は「今私は日本人全員を見下ろしている」と母親にメールしていた。

11:45 お鉢回りを終えて須走口山頂に戻る。家から持ってきたカロリーメイトとウィダー・イン・ゼリーというつつましやかな昼食を摂る。カロリーメイトのビニール袋がパンパンに膨らんでいるのを見て、娘は「ウォー、スゲーッ」と大喜びだった。

12:10 下山開始。  私は足の筋力や持久力はある方なので、登山にはある程度自信があった。問題は膝で、長時間下り続けると膝が痛くて歩けなくなる。本当に歩けなくなったら、どこかの山小屋で一晩泊めてもらうしかない。この登山を思いついてから1年、膝の強化に取り組んできたが期待するほどの効果はなかった。私にとっての富士登山は、実は下山ができるかどうかで、ここからが勝負なのだ。膝の痛みは、膝への衝撃が強いほど早く強く現れる。歩幅を狭くし、娘の杖を借りて杖2本使って膝への衝撃を軽くして歩いた。

12:40 本八合目江戸屋到着。ここで右膝に軽い痛みを自覚。不安が募る。  前向きに坂を下りるとすぐ痛くなるのだが、不思議なことに後ろ向き歩行ならば痛くならない。ここからはときどき後ろ向きになって歩くことにした。しかし、「何やっているんだこの人は。」と言わんばかりの回りの登山者の視線が気になってしまう。

12:53 八合目江戸屋到着。  ここで、変わった人を発見した。履いている靴が何とクロックス(サンダル)なのである。鞄はリュックではなく、本やノートが入ってそうな普通のショルダーバックで、これをたすきにかけている。普通に街を歩いている服装だ。少し下るとサンダルと足の間に砂利が挟まって歩けなくなり、立ち止って砂利を払ってまた歩き出す、約50mごとにこの繰り返しである。まったく信じられない登山者だ。

 「何を考えているんだこの人は。」 と思ったときに気がついた。好きでこんな恰好で登山する人はいない。何だか知らないが、止むを得ない理由があるに違いない。彼はその中で最善を尽くしているのだ。後ろ向きに下山している自分も同じなのだ。 傍から見れば、信じられない恥ずかしい歩き方かもしれないが、人目を気にせず堂々と後ろ向きに歩けばいいのだ。後ろ向きに歩けば、石に躓いたり坂を滑り落ちたりする危険が高くなる。しかしこの危険は、歩幅を狭くしたり後方を確認しながら歩くことで回避できる。前向きに歩いて膝が痛くなる方が自分には余程危険だ。「後ろ向きであることが、私にとっては前向きであることもあるのだ」という妙に哲学的な悟りを開く。

13:50 七合目大陽館着。  七合目大陽館にはワンコが飼われているそうで、会いに行ってみたが小屋に入り込んで外には出てこない。小屋周辺は立ち入り禁止になっていて、近づくこともできない。残念。  ここから1時間半は一直線で下る砂走りだ。靴の中に砂が入らないように足首を巻く装備をして、顔にはマスクをする。

一直線に降りる砂走り。

14:05 七合目太陽館発。  障害物が少ない直線コースはできるだけ後ろ向きで歩くことにした。そうして見ると、後ろ向きになって下っている人がときどきいるのに気づいた。そのほとんどは中年男性で、皆、前向きに歩くときは膝を痛そうにする。私と同じ人は結構いるのだ。そして、後ろ向き歩行は下り坂の膝痛軽減手段として正しいものだと確信した。

15:05 砂払五合目売店・吉野屋(標高2230m)到着。屋根の下に入ると同時に大雨が来た。10分ほど待つと雨が上がった。右膝の痛みは強くなっているが、歩くことはできる。ここからは林間コースで後ろ向き歩行はできない。杖を最大限に利用し、ゆっくり進む。
15:30 小御岳神社到着。ここまで来ればもう大丈夫、なんとか膝を傷めず下山できた。無事に富士登山を終えられたことを感謝し、賽銭を入れて手を合わせる。

15:35 五合目到着と同時に再び雨が降り出す。土産物を買って、ソフトクリームを食しながら、登山の余韻に浸った。御殿場駅へのバスは1時間ほど待たねばならないため、帰りもタクシーを使った。

17:21 御殿場駅から電車に乗る。新幹線の中で、娘に登山の感想を聞いた。毎日バスケットで鍛えている現役体育会人間だけに、呼吸循環器系も筋力体力も問題なかったようだ。それだけに彼女は、登りも下りも余裕を持って私のペースを気にしながら歩いてくれたようだ。父の登山に2日間つき合ってくれた娘に感謝を込めて「ありがとう」を言った。
 そのついでに父から一言、「山に登って将来何かの役に立つわけではない。しかし、おまえは間違いなく日本の一番高い山に登ったのだ。あの3776mの碑を前にしたとき、きっと何らかの達成感があったはずだ。登山であれ何であれ、目標を持ち、計画を立て、長い努力を続けた者だけが得られるものがあることを覚えておいてほしい」と説教じみたことを言ってみたが、彼女はもうすでに眠りについていた。まあいいか。

20:00 自宅到着。  

 2日間、要所要所で天候に恵まれた。また、雨も降ったが常に屋根の下にいるときだけだった。高山病やケガもなかった。これすべて普段の行いが良き故か、神のご加護あってのことか。いずれにしてもありがたいことである。
 40歳で膝が痛くなり始めてから、全く諦めていた登山だったが、「やってできなかったのならば仕方ない。しかし、やる前から諦めてはいけない」というある役者の言葉に奮起して今回の登山に至った。登頂に成功した今、この言葉はさらに深く私の心に刻まれた。「やる前から諦めてはいけない」のだ。

 50歳になって未だ天命を知らない自分が、これからの人生をどう歩んでいくべきか。富士山がそれを教えてくれると本気で思ってはいなかったが、自分が諦めていたことに挑戦することで、失敗しても成功しても、何かをつかめるかもしれないという期待はあった。すでに記したが、膝が不調な私にとって、今回の富士登山は下山が問題であり最大の焦点であった。今回は主に後ろ向き歩行によって克服したが、これは下山道がまっすぐで平坦で砂地、障害物が無く、登山道と下山道が別ルートになっている富士山でしか通用しない方法だ。それでも、人生50歳からの下山方法に迷っている自分に、富士登山が教えてくれたことはあった。それは、他の人と同じ方法が自分にとって良い方法とは限らないこと、体裁を気にせず自分流で行くことも大切だということだった。
 最後に、私ばかり勝手に山に行って楽しんで、その陰で準備や後かたづけをせっせとやってくれた妻に深く感謝を捧げて、この富士山登頂記を終えたい。
 

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